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『ラモーナ』を読みはじめたが… [読書]

風邪ひいたので、今週末は家の中でのんびりしてようと思いました。

そこでもちろんこれの出番です。

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以前に入手できたという記事を書いたアメリカ小説『ラモーナ』(邦訳版)です。なにせ600ページにわたる人種差別と苦難の物語ですから、「一気呵成に読み終わる→自分の時間を作って、精神的ダメージを回復させる」というセッションが必要なはずですから(わたしとしては)。


さてと、ワクワク…


おや?

すべてを掌握していたのはセニョーラだけだった。セニョーラ・ゴンザーガ・モレノは彼女と同世代の人々を見渡しても聡明さにかけては群を抜いていた。(1頁より)


ゴンザーガ、ときましたか。

スペインから移民してきた名家の女主人の名字のひとつですが(スペインでは名字が2つあります)、これはスペイン語圏ではよくある名前です。綴りはGonzagaで、スペイン語の発音に準拠すれば「ゴンサガ」になるはず。なにせ、スペイン語には促音も、「ザ」の音もありませんから。

…なるほど、舞台であるアメリカの、英語風の発音を採用したわけですかね。

おっと、こんな些細なことに拘泥するのはやめやめ、物語をば…


お、おやっ!?


羊毛刈りをめぐって彼女と羊飼い頭のワン・カニートとの間で何度か話し合いがもたれてきた。ワン・カニートは牧夫頭のワン・ホセと区別して短くワン・カンと呼ばれている。(3頁より)

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わ ん ?


まさかねえ、と思いました。

まさか、Juan(フアン)などという、滅茶苦茶よくある名前に「ワン」という誤った読みを当てるわけがない。なるほど、きっと舞台がカリフォルニアで、メキシコに近いから、メキシコ特有の名前を持った人々が出てくるのですね。チワワだって現地語では「Chihuahua」と綴られているし。スペインにはない名前ですが、きっとHuanという名前なのでしょう。


…と一瞬思ったのですが気になりすぎて進めなかったので調べてみると…

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↑右下の隅に注目(Ramona映画版のキャストより


やっぱり JUAN = フアン じゃないですか。


筆者の体験から、スペイン系の人の発音を実際に聞いてみるとどう聞いても「フアン」です。

それを差し置いても、日本ではDon Juanを『ドン・ファン』と訳してきた伝統があります。それにあえて逆らってJuanを「ワン」と訳したとは、まさか思えません。

スペイン語名の表記の問題。これを些細なこととして読み進められればいいのですが、筆者にはできませんでした。どうしてもスペイン語、及び、スペイン風の習慣や伝統がちゃんと翻訳されているか、あら探しをしてしまいそうで…

その後は別な本を読んでいました。また元気になって時間ができたら、ちゃんと読みたいと思います。
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カナダ人が子供に読んであげたい本 [読書]

さて皆様お待ちかね(であることを期待しています)、前回の続きです。

「7歳くらいまでの子供にいい本」を求めてのステファニーの質問に寄せられた、アラサー&アラフォーカナダ人たちの回答をご紹介します。なお、今回は「回答者が答えた原題」+「Amazon.jpで発見できた日本語版の写真」の組み合わせでご紹介。絵本は絵がないと、ですからね。なおAmazon.jpで日本語版が発見できなかったものは原書の写真(+筆者が直感で訳したタイトル)でご紹介します。

それでは、始まり始まり。

***

キースさん(男性)
「僕が好きだった本はこのとおり。理由は、まず絵が素晴らしいこと。あと、遭難した感じと、冒険、そして最後には帰ってくるっていうテーマが好きなんだ」
・Corduroy(コーデュロイ)
くまのコールテンくん (フリーマンの絵本)

くまのコールテンくん (フリーマンの絵本)

  • 作者: ドン=フリーマン
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1975/05
  • メディア: ハードカバー


・Scuffy the Tugboat(引き船のスカッフィ)
Scuffy the Tugboat (Little Golden Storybook)

Scuffy the Tugboat (Little Golden Storybook)

  • 作者: Gertrude Crampton
  • 出版社/メーカー: Golden Books
  • 発売日: 1997/08/11
  • メディア: ハードカバー


・The Little Red Caboose(小さな赤い貨車)
The Little Red Caboose (Little Golden Book)

The Little Red Caboose (Little Golden Book)

  • 作者: Marian Potter
  • 出版社/メーカー: Golden Books
  • 発売日: 2000/03/27
  • メディア: ハードカバー


・Wynken, Blynken, and Nod(ウィンケンとブリンケンとノッド)
Wynken, Blynken and Nod (Picture Puffin)

Wynken, Blynken and Nod (Picture Puffin)

  • 作者: Eugene Field
  • 出版社/メーカー: Puffin
  • 発売日: 1992/10/15
  • メディア: ペーパーバック


筆者の思った事:やっぱり男の子は乗り物が好きなんですね。そして家出風の冒険と、もちろん自分のおうちに帰ってくる事も。

* * *

ジェニファーさん(女性)
「私、そのくらいの時に自分の読んでた本を覚えてないのよ! うちのママはレオ・レオー二が好きなんだけど。もっと後のことだったらよく覚えてるんだけどなあ」

筆者の思ったこと:「7歳くらいまで」という条件だったので、仕方ないですね。残念。

* * *

ローラさん(女性)
(コメントなし、本のタイトルのみ投稿)
・Corduroy(コーデュロイ)
Corduroy (Picture Puffins)

Corduroy (Picture Puffins)

  • 作者: Don Freeman
  • 出版社/メーカー: Puffin
  • 発売日: 1976/09/30
  • メディア: ペーパーバック


・The Very Hungry Caterpillar
はらぺこあおむし

はらぺこあおむし

  • 作者: エリック=カール
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1989/02
  • メディア: ハードカバー


・Love You Forever
ラヴ・ユー・フォーエバー

ラヴ・ユー・フォーエバー

  • 作者: ロバート マンチ
  • 出版社/メーカー: 岩崎書店
  • 発売日: 1997/09/30
  • メディア: 大型本


・Amelia Bedelia(アメリア・ベデリア)
Amelia Bedelia (I Can Read Book 2)

Amelia Bedelia (I Can Read Book 2)

  • 作者: Peggy Parish
  • 出版社/メーカー: HarperCollins
  • 発売日: 1992/09/01
  • メディア: ペーパーバック


・Danny and the Dinosaur(ダニーと恐竜)
Happy Birthday, Danny and the Dinosaur! (I Can Read Book 1)

Happy Birthday, Danny and the Dinosaur! (I Can Read Book 1)

  • 作者: Syd Hoff
  • 出版社/メーカー: HarperCollins
  • 発売日: 1997/05/30
  • メディア: ペーパーバック


・The Lorax(ロラックス)
The Lorax (Classic Seuss)

The Lorax (Classic Seuss)

  • 作者: Dr. Seuss
  • 出版社/メーカー: Random House Books for Young Readers
  • 発売日: 1971/08/12
  • メディア: ハードカバー


筆者の思った事:聞いた事のない作品が多いですが、中でも「ロラックス」が気になってたまりません。

* * *

トリサさん(女性)
「7歳児向けかどうかはわからないけど、大好きだった本。あと、今欲しい本が2冊あって、どちらもオリヴァー・ジェファーズの本なの」
・Le Petit Prince
星の王子さま (岩波少年文庫 (001))

星の王子さま (岩波少年文庫 (001))

  • 作者: サン=テグジュペリ
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2000/06
  • メディア: 文庫


・Winnie the Pooh
クマのプーさん (岩波少年文庫 (008))

クマのプーさん (岩波少年文庫 (008))

  • 作者: A.A.ミルン
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2000/06
  • メディア: 単行本


・The Giving Tree
おおきな木

おおきな木

  • 作者: シェル・シルヴァスタイン
  • 出版社/メーカー: 篠崎書林
  • 発売日: 1976/01
  • メディア: -


・Lost and Found
まいごのペンギン (にいるぶっくす)

まいごのペンギン (にいるぶっくす)

  • 作者: オリヴァー ジェファーズ
  • 出版社/メーカー: ソニーマガジンズ
  • 発売日: 2005/12
  • メディア: 大型本


・Up and Down(上にいったり下にいったり)
Up and Down

Up and Down

  • 作者: Oliver Jeffers
  • 出版社/メーカー: HarperCollins Children's Books
  • 発売日: 2010/09/02
  • メディア: ハードカバー


筆者の思った事:『星の王子さま』は筆者も大好きです。それから『おおきな木』は素晴らしい作品です。解釈が難しいですが、わたしなら無理に説明しようとせず、読む子どもさんにゆだねるでしょう。

* * *

チャールズさん(男性)
「色々あるけどこんな感じかな。あと、ピーターラビットのシリーズが好きだね」
・The Mouse and the Motorcycle(ねずみとオートバイ)
The Mouse and the Motorcycle

The Mouse and the Motorcycle

  • 作者: Beverly Cleary
  • 出版社/メーカー: HarperCollins
  • 発売日: 1965/01/01
  • メディア: ハードカバー


・Harold and the Purple Crayon
はろるどとむらさきのくれよん (ミセスこどもの本)

はろるどとむらさきのくれよん (ミセスこどもの本)

  • 作者: クロケット・ジョンソン
  • 出版社/メーカー: 文化出版局
  • 発売日: 1972/06
  • メディア: 単行本


・Berenstain Bears -Bears in the Night(ベレンスタイン・ベアーズの「夜のくまたち」)
Bears in the Night (Bright & Early Books(R))

Bears in the Night (Bright & Early Books(R))

  • 作者: Stan Berenstain
  • 出版社/メーカー: Random House Books for Young Readers
  • 発売日: 1971/08/12
  • メディア: ハードカバー


・Papa, Please Get the Moon for Me
パパ、お月さまとって!

パパ、お月さまとって!

  • 作者: エリック カール
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1986/12
  • メディア: ハードカバー


筆者の思った事:チャールズさん、乗り物、動物、家族と幅広いですね。子供の時ってなんでも好きになれるものですもんね。

* * *

K(筆者、男性)
「僕は英語ネイティヴじゃないから、カナダの7歳児がどれくらい読めるのかわからないけど、英語の本ではこれが一番オススメだね」
・Watership Down
ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち (上) (評論社文庫)

ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち (上) (評論社文庫)

  • 作者: リチャード・アダムズ
  • 出版社/メーカー: 評論社
  • 発売日: 1980/06
  • メディア: 文庫


筆者より:23歳の時に読んでも難しかったです。っていうかやっと思い出したけど、英語圏で7歳って言ったらアルファベットを全部覚えた直後くらいなのでは…

* * *

シュアンイェンさん(女性)
「私は“The Velveteen Rabbit”が好きで好きで好きでたまらなかったの! 捨てられたり、忘れられたり、置いてきぼりにされたりするものが、なぜか心に触れるみたい。アニメでいうと「ブレイブ・リトル・トースター」ね。
ビロードのうさぎ

ビロードのうさぎ

  • 作者: マージェリィ・W. ビアンコ
  • 出版社/メーカー: ブロンズ新社
  • 発売日: 2007/04
  • メディア: 大型本


ブレイブ・リトルトースター [DVD]

ブレイブ・リトルトースター [DVD]

  • 出版社/メーカー: ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
  • メディア: DVD


…あと、フランスの“Le Petit Nicolas”のシリーズにも一時期どっぷりだったわ。小学生の男の子が主人公なんだけど、ユーモアとフランスっぽさが詰まってて最高! ちょっと不条理なところもあるんだけどね」
プチ・ニコラ〈1〉集まれ、わんぱく! (偕成社文庫)

プチ・ニコラ〈1〉集まれ、わんぱく! (偕成社文庫)

  • 作者: ルネ ゴシニ
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1996/01/31
  • メディア: 単行本


筆者の思った事:カナダは英語とフランス語が公用語なので、2つの言語の本が簡単に見つかるのでしょうが、どちらにもハマることができるとはスゴいっ! 子供の能力は無限大ですね。

* * *

シュアンイェンさん(女性)再投稿
「読んでもらった本で好きだったのは“Charlotte's Web”。クモさんがすっごくいいのよ! あと魔女たちもね」
シャーロットのおくりもの

シャーロットのおくりもの

  • 作者: E.B. ホワイト
  • 出版社/メーカー: あすなろ書房
  • 発売日: 2001/02
  • メディア: 単行本


筆者の思ったこと:めっちゃ読みたい…


* * *

残念なことに、返信はここで打ち止めでした。いやー面白かった。

それにしても、筆者の家にはかなりたくさんの絵本があった方だと思いますが、やっぱりカナダの同年代(たぶん)の人が読んでいた作品とはかなり違うようです。ちなみに、日本の絵本が向こうで出ている事を期待して何か書き込んでみようかと思いもしたのですが、最初に思いついたのが


ごんぎつね (おはなし名作絵本 1)

ごんぎつね (おはなし名作絵本 1)

  • 作者: 新美 南吉
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 1969/03
  • メディア: ハードカバー


だったので、やめておきました。結末が悲しすぎると思うので。



*さいごに*
筆者が邦訳を見つけられなかったタイトルについて、ご存知の方は教えていただければ幸いです。

*11/7追記*
『Corduroy』の邦訳は『くまのコールテンくん』であることがわかったのでAmazonのリンクを差しかえました。Wakanaさん、ありがとうございました。
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"Ramona" (ラモーナ)日本語版 [読書]

ちょっと前の話ですが、カナダの友人ステファニーがFacebookでこう書き込みました。

「みんなが子供の時に好きだった本のトップ5と、理由を知りたいわ」(7歳くらいまで)

「7歳くらいまで」とただし書きがあるのは、おそらく本を薦めたい誰か、もしくはグループが念頭にあるのでしょう。返信のトップはこちら。

サルヴォさん(男性)
「5冊選ばないとだめなのかい? 僕が好きだった本は将来、自分の子供ができたときのために、本棚いっぱい取ってあるよ」

この素敵な返信には、トピ主のステファニーが「じゃあその中でも特に際立って印象に残ってる本はない?」と素早く返信。主にカナダ人の友人達から続々と回答が出てきました。

ツリーハグさん(女性)の返信
・イーニッド(エニド)・ブライトンの作品全般
・『Ramona』

シャノンさん(女性)の返信
・『Ramona』
・『赤毛のアン』
・『若草物語』
・『大草原の小さな家』


ふむふむ、筆者はイーニッド・ブライトンは読んだ記憶がないですねえ。『Ramona』も聞き覚えがないなあ…。反対にシャノンさんのチョイスはわかり易いですね、世界名作ですから。でもここにも『Ramona』…二人が二人とも挙げた『Ramona』って何だろう? 邦訳が全然違うんでしょうか…というわけで調べてみました。

(以下Wikipedia英語版より筆者がいい加減に訳したもの)
*****
『Ramona』は、ヘレン・ハント・ジャクソンによる1884年のアメリカ小説。
カリフォルニア南部を舞台とし、スコットランド人とアメリカ先住民の混血である孤児の少女が、人種差別と艱難辛苦に翻弄される物語である。
*****

これは重い…

ひょっとして邦訳されていないのでは? と思ってもうちょっと調べてみると、確かに1884年の作品にもかかわらず、最初の邦訳が出たのは2007年のようです。本国では発表直後にベストセラーになったということですが、日本語訳が出たのが100年後? ひょっとしたらネイティヴ・アメリカン差別というテーマが日本の読者向けではないと判断されたのかもしれません。

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そして、かなり興味を持っていたのですが先日、めでたくブックオフの通販サイトから入荷メールが届き、定価4500円の約半額で購入できました。それでもちょっと高いですが。原書の方が安いのですが、さすがに1884年の英語をちゃんと読めるかどうかわかりません。それに、日本語版なら母の主催する子供図書館「みどり文庫」に置いてもらえますし。

本文約690ページの大長編小説ですが、この週末が読み始める絶好のチャンスだったのに、逃してしまいました。気分が沈んでいたので、人種差別と艱難辛苦に関する物語を開く度胸はなかったです…
ちゃんと読み終わったら(大御所の亀井俊介氏による解説も含めて)ここで改めて紹介したいですね。

ちなみに、ステファニーとその友人諸兄のやり取りはその後、こんな感じでした。

ステファニー
「ちょっと待って、あんた7歳の時に『若草物語』読んでたの?」

シャノンさん(女性)
「ええ。けっこう時間がかかったような気がするけど。小さな子供向けだったら、『Olivia』なんかどう? すごいわよ!」

*****
筆者より
*****

この後、他の皆さんのコメントを全部紹介するため、しばらく訳本探しをしていたのですが、今日の記事に全部収めてしまうともったいない。というわけで残りは明日の記事にて紹介します。

ちなみにシャノンさんが薦めている『Olivia』(オリヴィア)はイギリス人Dorothy Bussy(ドロシー・ブッシー)が「Olivia」のペンネームで1949年に出版した小説。イングランドからフランスの寄宿学校にやってきた女の子が、女性の校長先生に恋をしてしまう物語で、「同性愛をテーマにした小説ベスト100」の35位にランクインしているそうです。さすが同性婚が合法の国カナダ、勧める本にもそれが反映されていますね。


ラモーナ (アメリカ古典大衆小説コレクション)

ラモーナ (アメリカ古典大衆小説コレクション)

  • 作者: ヘレン・ハント・ジャクソン
  • 出版社/メーカー: 松柏社
  • 発売日: 2007/07/06
  • メディア: 単行本



おちゃめなふたご (ポプラ社文庫―世界の名作文庫)

おちゃめなふたご (ポプラ社文庫―世界の名作文庫)

  • 作者: エニド ブライトン
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 1982/03
  • メディア: 新書



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『なんかあるぞ! 国連ボランティアーカンボジア選挙監視員の野次馬ノート』 [読書]

昨日の日記でちょこっと触れた本です。

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ちょっと前に買って月曜日に電車の中で読み始めたのですが、これが…いろんな意味で「大変な」読書になりました。できるだけ簡潔に書くと要点は以下の2つです。

・当時のカンボジアの状況が、読んでいてげんなりする
・著者の文章と行動様式が、読んでいてげんなりする

まず当時のカンボジア。著者が国連ボランティアとして渡航したのは1993年、長い内戦終結のほんの2年後です。社会の貧困と混乱は想像を絶するものすごい状態です。当然、国連によるボランティア活動も思い通りに進みません。任期中の最悪の事件は日本人ボランティアの中田厚仁さんが殺害されたこと。そして、あろうことか国連ボランティアが交通事故で現地の人を死に至らしめた事。他にも治安面での問題は山積みで、何人もの国連ボランティアが任期途中でそれぞれの国に帰国してしまったとのこと。泥の川を泳ぐようにして、国連ボランティアたちの活動は続きますが、どれだけやっても目に見える成果がほとんど出ない状況は、17年後の一読者としても打ちのめされます。

しかし…

わたしがもっと残念だったのは、この著者の上田省造さんの文章です。
国連ボランティア関連の書籍だから、なるべく文句は言いたくないのですが…でもまずいものはまずいということで、以下に問題点を記します。


【問題点(1)語学に弱い】

・「クメール・ヴェルディ」という章の表記(p.14)
→「クメール・ルージュ」にひっかけて「緑の国」を表そうとしているのですが、「ルージュ」がフランス語なのに「ヴェルディ」はイタリア語です。なぜバラバラ?

・「スペイン語でヤマモトは「すでに俺のバイクだ」という意味(p.22)
→間違ってます。正しくは Ya mi moto (ヤモト)です。フランス語の俺の=maと混同?

序盤からこんなふうに外国語の基本的なミスが相次ぎ「この人、言語習得が苦手なのではないだろうか」と思わせるのですが、案の定、こんな記述があります。

「UNTACのカリキュラムでは、これ(注:現地の言葉クメール語)を六週間で習うことになっており、「不可能」と判断して、いち早くギヴ・アップした。」(p.30-31)


簡単にギブアップするなー!

と電車の中で叫びそうになりましたよホント。私費留学ならともかく、授業料は国連予算の中から出てるのにもかかわらず、それをあきらめるとは。そもそもこのカリキュラムは現地で効果的にボランティア活動ができるようになるためのものなのに、それを放棄してしまうとは、もはやボランティア活動自体を拒否しているような印象を受けてしまいます。


【問題点(2) なんか現地の人を嫌っている】

この後、著者は英語のみで活動を続け、あろうことか現地の人は英語が下手だという「ネタ」を何度にもわたって披露します。彼曰くクメール人(カンボジアで一番多い民族)はプライドが高く、非生産的だとか。赴任して4ヶ月後にはこんな台詞が飛び出します。

「…初めて、地平線に沈む夕陽を見た。「神々の黄昏」だ。四ヶ月にもなるのに、その時間帯はいつもオフィスにいたので、うかつにも知らなかった。(中略)神々しいまでの光のペイジェント、雄大、壮大。神が存在するものなら祈りたくなるような、ミレーの『晩鐘』を彷彿する(*ママ)、荘厳にして厳粛な刹那だ。

クメール人は毎日こんな贅沢なものを見ているのかと思うと、腹が立った」(p.66-67)


げんなり。もうほんとにげんなりです。長かった内戦、いまだ大量に残る地雷、まだまだ不安定な政情と、何も持たない恵まれない人々に向かって「きれいな夕陽を見ている」と言って腹を立てるとは。書く方も書く方ですが、載せる方も載せる方です。編集者はこれでいいと思ったのでしょうか? ハードカバー版が出た時に誰も指摘しなかったのでしょうか?

その直後の75頁では、著者が赴任先で、現地の人々のように水は雨水を貯めて使い、トイレはなし(自然に還すとのこと)の生活をするのがイヤで、井戸と水洗トイレを新設させるという下りがあります。現地の人々が雨水を飲んでいるのに、自分は水洗トイレで水をザーザー流すことに対して、特にコメントはありません。わたしなら「自分だけ贅沢せずに、くみ取り式でもいいから共同トイレでも設営してあげたらどうだろうか」とか思ってしまうのですが、やっぱり現地では事情が違うのでしょうか。

最初の2章が随時こんな感じなので、「ダメだろうなあ」と思ってしまうのですが、頑張って最後まで読みました。第3章から、いよいよ選挙関係の出来事が中心となり、読み応えが出てきます。ただ、第3章の「キリングフィールド・フォーエヴァー」というタイトルはないと思います。たぶん著者は「キリングフィールド(カンボジアのいたるところにある虐殺現場)を忘れてはいけない」と言いたいのでしょうが、これだと「永遠に虐殺は続く」みたいに読めてしまいます。

あと、日本の自衛官が英語ができない事をネタにする場面もありますが(わざと英語で話しかけて困惑させる)、その後には他国ボランティアに「人選はどうなっているの? 国際機関にくる以上、最低限英語が話せないとねェ…」(p.243)と突っ込まれる場面を収録。他人事みたいな書き方をしていますが、それはあなたに向けられていた台詞ではないのかと思いました。



【問題点(3) 素行】

「現地では誰でもやってる」とか言って飲酒運転したり、二輪タクシーを自分で運転して転んでケガしたり、アンコールワットの遺跡で穴に落ちて入院したりしたそうです。また、フロッピーディスクが無くなった時に同じオフィスの人々の机を開けて廻ろうとして、上司にたしなめられたり(同僚を泥棒扱いするなということ)。他にも枚挙にいとまがありませんが、書いててまたげんなりしてきたのでこのへんで。


【まとめ】

華々しく英雄的な「国連ボランティア」のイメージとはかけ離れてはいますが、逆にそれが貴重な資料となっていると思います。がっかりする内容が多く、決して楽しい読書ではなかったものの、包み隠さない真実を知ることができる本、と考えると資料的価値があると思います。こんなことしてたのか、という。



なんかあるぞ!国連ボランティア―カンボジア選挙監視員の野次馬ノート (講談社文庫)

なんかあるぞ!国連ボランティア―カンボジア選挙監視員の野次馬ノート (講談社文庫)

  • 作者: 上田 省造
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1996/02
  • メディア: 文庫



(余談)
「水田がマラリアの発生源となったためスペインでは米は食べなかった」「ヨーロッパでは米作は根付かなかった」(p.68)という記述がありますが、部分的に間違っていると思います。

確かに中世スペインの権力者はマラリア防止のため水田を禁止しましたが、農民の間では農地として使い道の無い湿地で、こっそり米作が続けられていました。なお、バレンシア地方には伝統料理のパエリヤ(米)があります。

そしてスペインに上陸した稲作は、後にフランスとイタリアにも伝播しました。イタリア東北部(トリノを中心としたピエモンテ地方)では特に広まり、伝統料理のリゾットがあります。スペインでは米を食べていましたし、米は南ヨーロッパには広まりました。

(余談の余談)
p.108にある「Soy Jan, vamos a trabajar contigo」(私はヤン、一緒に働こう)というスペイン語も間違っています。語りかけているのは一人の人で、一対一の会話なのに、「我々はあなたと働こう」となっています。正しくは、

Voy a trabajar contigo」(私はあなたと働こう)
もしくは、
「Vamos a trabajar junto」(私たちは、一緒に働きましょう)
になるはずです。

日本人がカンボジアに行くドキュメンタリーで、スペインの話をあちこちで持ち出すのがそもそも間違いなのでは、と思ってしまいます。でもこの方、奥様はスペイン人だということなんですよね…

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Fit For Life (1985) :『フィット・フォー・ライフ』ナチュラルハイジーンのすすめ [読書]

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昨晩、ようやく読み終わりました。
『フィット・フォー・ライフ』(ハーヴィー&マリリン・ダイアモンド著)は1985年に出版された米国のロングセラーで、「ナチュラル・ハイジーン」という食習慣の導入により健康になる方法が詳細に記されています。この日本語版(2006)は去年読んだ『ベジィ・ステディ・ゴー!』という隔月のベジタリアン誌で紹介されていたので買ってみました。

で、読み始めてみるとどの項目も斬新な考え方が載っていて(20年以上も前の本だというのに)興味深かったです。有名な本なので、ネットでさらっと検索するだけでも色々な意見が出ていることがわかります。色々なトピックの中で、特に大きな論争の種となっているのは、このへん。

<フィット・フォー・ライフ著者たちの主張>
・肉、魚、牛乳などは基本的に食べなくてもよい。カルシウム、たんぱく質は他の食品から十分に摂取できる。
・たんぱく質と炭水化物を同時に食べると消化不良の原因となる。たんぱく質と野菜、もしくは炭水化物と野菜という組み合わせで食べること。

このへん、「非科学的」と言われてしまえばそれまででしょう。Amazon.comのレビューでも色々とコメントがついています。特に言われているのが、「たんぱく質を取らなかったため痩せ過ぎた」というもの。

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(↑Amazon.comのユーザー評価。批判もあるが全体的にかなり高い)

しかし、そのへんはもっと詳しいサイトや文献、方式等にゆずるとして、ここでは筆者が感銘を受けた点を紹介しましょう。

まずは、ビタミン剤等のサプリメントよりも生の野菜や果物、フレッシュジュースの方が体に与える恩恵は遥かに大きいということ。他の場所でも、サプリのビタミン等はなぜか生のそれと違って人体に吸収されにくいというような話をちらほら聞き、どうしてだろうと思っていたのですが、この本では以下のように説明されています。

「現在では先端技術によって、どの科学成分も合成することができ、小麦粉も実験室で作り上げることができる。しかし、これを地面に埋めても発芽することはない。一方、4000年前の墓から取り出した小麦粒を地面に埋めると、芽が出てくるのだ。 つまり、合成された小麦にはある一つの成分が微妙に欠けているのだ。それは「生命力」といわれるものである。人工サプリメントも同様で、この「生命力」を生む成分が、合成ビタミンやミネラルには決定的に欠けているのだ」(p.273より)

Amazon.comのレビューやWikipediaでは「非科学的」とされることが多いこの本ですが、この主張にはうなずかされました。「生命力って何だよ、科学的に分析してみろよ」という批判をされても仕方がありませんが、わたしはこれ、当たってると思います。

あと、他にもう一つ興味を引かれた部分があります。それは、普通の人だったら一日の大半は仕事をしているという事実が、きっちり織り込まれていること。そして、仕事と同時に「消化」を行うのはダブルで重労働だというアイデアです。

食べた物をちゃんと消化できるかどうかというのは、健康のために重要な要素であり、だから寝る前の飲食とかはどのダイエット・健康本でも勧められていません。この本でも、なるべく午後8時より前に夕食を済ませるべきとされています。しかしながら、それだけではありません。『フィット・フォー・ライフ』では「消化&仕事」で体を疲弊させないよう、朝食と昼食は軽めに食べることが勧められています。もっと具体的に言うと、下記のようになります。

【朝】果物
【昼】炭水化物+野菜
【夕】肉、魚、乳製品+野菜
 (p.317-318より)

上記は筆者がかなり略してしまいましたが、「朝は消化しやすいもの(フルーツ)のみ食べる」「肉など、消化が大変なものは仕事が終わってから食べる」という趣旨です。著者たちは肉は食べない方がいいとしていますが、禁止ではなく、「できれば」という感じですので。

筆者はこの部分を読んでから時おり自分で実験をしていましたが、まず朝フルーツはいい感じです。朝にバナナとミカン、それに野菜ジュースかフルーツジュースだけで朝食とし、出勤すると中々体が軽くていい感じです。そして 準備と片付けが楽 なのがひそかなポイント。これだとコップ一つ洗えばいいだけですから、出勤前のけだるい朝にはバッチリです。でもミカンがない時期はちょっと困りますね。リンゴなんかだと準備・後片付け・食べるのにそれぞれけっこう時間がかかりますから。なお、休みの日は消化に使える時間もエネルギーも余分にあるはずなので全然別なもの食べてます。今日はGFに教えてもらったチョコバナナトーストでした[手(チョキ)]


ところが昼は炭水化物と野菜、夜はたんぱく質と野菜という部分になると、残念ながら普段はそれほど自分の食べるものをコントロールできていないのが実情です。週5日、40~50時間も働いてると、昼食も夕食も自分で作るって大変ですから・・・。

そんなわけで、かなりとりとめのない記事になってしまいましたが、興味のある方は是非一読を。なお最後のあたりにはレシピのページがあり、楽しい感じです。しかしながら、第五部「日本の読者の皆さんに」と題された日本語版の特別ページでは、日本人の日々の栄養の摂取量が表になっていまして、米国・中国に比べてかなり見劣りします。これで長寿国家なのはちょっと不思議。

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(↑左上:ビタミンC摂取量 、右上:鉄摂取量
  左下:食物繊維摂取量、右下:カルシウム摂取量。
棒グラフは左から米国人、中国人、そして日本人の順)

ところで、この記事を書いている間に、「えべっさん」に行っているGFからこんなメールをもらいました。


「唐揚げ、フライドポテト、肉巻きおにぎり、おでん、イカヤキ(姿&げそ)、串 カツ、どて煮込み、とんぺい焼き、焼きそば、鯛焼き、スープぎょうざ、チョコ バナナ、ミルクせんべいなどなど(忘れた…)食べて死にそう」


彼女が寝てる間に全部ちゃんと消化できることを心から祈るとともに、やはり彼女には自分がいなくてはいけない(一人で食べ過ぎないように)と思った筆者でした。なお、上記のメールの後「ベビーカステラ思い出した」というメールももらったことを追記しておきましょう。



フィット・フォー・ライフ ——健康長寿には「不滅の原則」があった!

フィット・フォー・ライフ ——健康長寿には「不滅の原則」があった!

  • 作者: ハーヴィー・ダイアモンド
  • 出版社/メーカー: グスコー出版
  • 発売日: 2006/04/08
  • メディア: 単行本



中に貝 [読書]



その衝動は帰りの地下鉄の中でやってきた。今日は外食しよう。金曜の夕方、午後7時という時間に自由になれたことは喜ばしいが、これから家に帰り、台所で片付けに汗を流しつつ調理に頭脳を費やすという二つの相反する労働をを同時にすることは、想像するに耐えなかった。二つの相反する行為を同時に行うということはどうでもいい。むしろ好きな方だ。例えば山の中を大きなリュックサックを担いで一日中歩き回り、体内に蓄積した老廃物を汗とともに流し出し、清浄な空気を嫌というほど吸い込み、運動によって活発になった血液が全身をあますところなく駆け巡るのを実感しつつ、これでもかという「健康になった」感を味わいつくし、その下山直後に自販機で購入した缶入りコカコーラ(※)を一気に喉の奥まで流し込むあの背徳的な爽快感を思うと、思い出すだけで後頭部の一部に電流が走るような感覚がわき上がる。

(※この場合、コーラはダイエットコークではなく赤い缶のスタンダードなものでなければならないことは言うまでもない)

したがって料理をしながら洗い物をするという行為も快感であってしかるべきなのだが、その洗い物が絶望的な量に達し、まず全てないし大半を洗わなければ料理を始める事が出来ないという状況では話が違ってくる。この場合、まずすべて洗い物をしたあとで料理に取りかかるのだが、このパターンだと往々にして食事の終わりにはまた使いたての新鮮な使用済み食器がキッチンのシンクに小山のように積もることになるだろう。そしてこの場合、何よりも耐え難いのは、食事の直後、つまり食べたものが完全に胃に到達して肉体が怠惰と睡魔の虜になる前のあの貴重なる数分間の間に華麗に洗い物を片付けようとしても、洗ったものを置くべき水切り場が先日の負の遺産であるところの皿どもによってすでに占領されているということだろう。先日ある書物で目にしたところの無の哲学という思想によると、そのような計画は立てずにただ目の前の皿ないし食材と向き合えばよいだけだというはずなのだが、悲しいかな一週間をなんとかまたしのぎきり、かつ土曜も仕事を抱えており、さらに金曜すらまだ終わっていないというのに来週の月曜のことが頭の片隅に見え隠れする平凡な一会社員には到底達成できない境地であるというほかない。





その店は、自宅の目の前の電車の駅からすぐのところにあった。下に山手線の走る駒込橋を六義園方面に渡り真っすぐ進むと、六義園を取り巻くようにおしゃれな雑貨屋や、趣味の良い外観をしたレストランが点在している。ここでわたしがこのレストラン群に対して趣味が良いというのは、決して内装や店内の音楽の選択についてではない ー なぜなら、その曇り空にとぎれとぎれに瞬く星々のような店のどれひとつすらも、わたしは暖簾をくぐったことがない(※※)からだ。その趣味の良さ、それはあまり主張せず文京区といういわばハイエンドな住宅地にあって決して遠距離から人目を引かない控えめな美しさである。遠くから見ても、そこに何があるかはそれほど明瞭ではない。道行くわたしが、その施設がレストランであるということに気付くのは往々にして、その前を横切るその瞬間だ。看板やメニューもさることながら、特殊な形をしたドア、窓、そしてこれ見よがしにチョークで書かれた日替わりとおぼしきメニューに、ワインの空きボトルと鉢植えの植物が並んでいたりすると、もうこれを「いい」レストランといわずして何と言うべきだろう。「ファミリー」という名詞を冠する類のレストランや、食べ放題を売りとするレストラン、はたまた、日本全国津々浦々で同じ名とメニューを持つチェーンレストランたちとは全くもって異質の存在である。

(※※フレンチやイタリアン・レストランには元々暖簾などかかっていなくて当然だが、そこは言葉のあやというものだ)

そんなことを、道の右側を見ていると思わずにはいられないのだが、わたしの狙いは反対側、道の左側に2、3軒あるどこにでもあるような無個性な安い店のうちのひとつだった。今晩の食事は、ひそかにラーメンにしようと決めていた。わたしはラーメンそのものは好きだ。それは否定しようがない。ただしとても好きかと言われると、そうでもないと言うだろう。美味しい店があると聞けば、誰かと一緒に行くくらいのことはするかもしれないが、自分から能動的に情報を収集し、時間を空け、店までたどり着き、何十分と空きっ腹と格闘しながら順番を待ち、番が来てカウンターに座れば人目も気にせず携帯電話でひとり撮影会を始め、約十分から十五分にわたって無上のよろこびを口と喉と胃と心と魂と全身全霊で感じ取り、その一日はその感動で幸せを寝床まで持続させ、翌日、いまだ冷めやらぬ興奮と感動を「食べログ」に投稿する・・・わたしはとてもそのような人間ではない。

GFと一緒に行く、かつGFがそこに行きたくてたまらないということなら特に問題にすることなく行くだろうが、それはGFの喜ぶ顔を見たいからであり、GFと一緒に何かを食べると通常より美味しく感じるからであり、また待ち時間も2人で話をしていると苦もなく過ぎる、というよりむしろ楽しく過ぎるから別に構わない。しかし、それはラーメンを食べに行くという行為に限らずGFと何かをする時すべてに共通する特別な事項であるからここではあまり長々と語って本来の目的から逸脱しないようにしよう。本来の目的、その第一はここで手早く安価に満腹感を得ることであり、第二にはわがホームタウンとなって久しい駒込駅前周辺の知識を多少なりとも増やすことであり、第三には食事をしながらも決して満腹(=怠惰)にならないこと、しかしながら活力を補充して金曜の晩という本来輝かしくあるべき夜を疲労と絶望感によって、押し入れに長期間入れておいた新聞紙のように湿って色あせたような夜にすることを少しでも妨げることである。




店名とメニューこそ違う割にどこにでもあるような印象を与えるラーメン屋のひとつ、あえて名前は伏せるがそれはそういう店のひとつだった。中に入ると意外なほどがらんとしており、わたしの他に客は3人しかいなかった。カウンターに細身の学生風の男がひとり、そしてテーブル席にいかにもな仕事帰りの会社員、全身頭の先から足下まで黒ずくめの2人が、一足のビジネス・シューズよろしく1セットで仲良く座っていた。だが、彼らのテーブルを一瞥するに彼らの関係は一目でわかった。そこには、店のシンボルたる麺類の姿はまだ無く、四角い皿が二枚と、その上にABCマートの店頭のスニーカーのように餃子が数個並んでいたのだ。2人で一皿ではなく、ひとり一皿ずつ ー その光景からはその2人の会社員が、女の子同士が、また愛し合う男女(ここで思考回路が自分とGFのことに切り替わりそうになったが、外国の訛りのある女性店員の「いらっしゃいませ」 の声で引き戻された)がよくやるいわゆる「わけわけ」を楽しむような関係ではないことが一目瞭然だった。だが、この状況には3つの可能性が存在し得る。

(1)最初に思ったように、この2人は一皿の餃子を2人で分ける(もっと正確に言うと「分けたくなる」)ほどの友情関係ないし愛情関係には達していない

(2)この2人は一皿の餃子を「わけわけ」したくてたまらないほどの友情関係、もしくは愛情関係に達しているにもかかわらず、男性同士であり、かつ公衆の面前であるという後ろめたさからあえて二皿の餃子を注文した

(3)単に2人とも空腹だった


おそらく(1)か(3)であろうが、仮に(2)であるとすれば一見喜劇的に見えて本質的には悲劇である。そんなふうにして立ちこめてきた海の香りのするような、湿っぽい思考のかけらを、ラーメン屋にそぐわない考えとして頭のなかから振り払いつつ、人目を忍んで愛し合っているかもしれないが、特にそんなわけでもないかもしれない2人に背を向けてカウンター席に座った。

注文したのは豚骨系の、いわば白系のラーメンだ。他に醤油味いわば黒系、またピリ辛のいわば赤系があったのだが、今日は自然に白に目が行った。初めて入る店なので迷ってもしかるべきなのだが、不思議なものである。思えばメニューで迷うときは、常に空腹でどうしようもない時であるように思う。今は食欲こそあるものの空腹とは言えない状態だ。本当に何でもいいから食べたいという時に迷い、特に選ばず適当に食べたいと思う時に迷わず「すっ」とオーダーをプレイスできるというのは、なんという皮肉だろうか。前者はまるで、自分の左右それぞれ同じ距離のところに、全く同じ量と大きさの干し草の小山をひとつずつ配置され、どちらを食べに行ったらよいか判断がつかず迷っているうちにやがて餓死してしまう哀れなロバの話を思い起こさせる。空腹は人間をビュリダンのロバ同様にするのか(※※※)。そう思った時にわたしの脳裏に閃くものがあった。空腹は人間を動物に近づける。


ー !


なんということだろうか。まさにその通りではないか。GFとの会話中なら2人して「今うまいコト言うたなア〜」「我ながらうまいコト言うたわア〜」などと言って遊ぶところだが、あいにく一人なのでカウンターの下で左の拳を堅く握りしめ、感動が声となって出てきそうなところを右手に持ったコップのお冷やで流し込み、そして顔の汗を手の平で軽く拭くように見せかけて顔が笑ってたまらないのをカモフラージュした。幸いにも、中国出身らしき女性店員と、厨房の中で我々4人の軍勢を相手に孤軍奮闘しているシェフには気付かれなかったようだ。

(※※※今思うと、ビュリダンのロバという話はもともと人間に対する比喩だったのかもしれない。愚鈍の象徴のように扱われ、ロバとしては迷惑な話だ。そう思うと、昔とあるゲームセンターでアルバイトをしていた時、UFOキャッチャーに「プーさん」シリーズのぬいぐるみが入荷すると、100%毎回ロバの「イーヨー」が大量に売れ残っていた悲しい記憶が蘇ってくる)

気を取り直して豚骨ラーメンに味玉を付け、さらにご飯を頼んだ。中国っぽい訛で女性店員が受け答えする。そのとき脳裏をよぎるものがあった。先日香港から遊びに来ていたスティーヴンが「麺とご飯は同時に食べないよ」と言っていたのだ。確かに言われてみればどちらも炭水化物であり、採り過ぎは良くない。中国では4000年来の常識であることが、この辺境の島国では21世紀になっても守られていないとは嘆かわしいことだ、とこの女性店員が思っていたとしたらどうするべきか。否、ここはラーメン屋、すなわち中国料理にヒントを得ているが日本料理であり、中国の人にどうこう思われる筋合いはないのだ。

それに、何よりも、ラーメンとご飯を同時に食べて得られる幸福感は、彼女には知る由もないだろう。いや、待てよ、郷に入っては郷に従えということで、この娘さんもここの賄い飯ですでにラーメンライスデビューを果たしているかもしれない。そして、あまつさえその感想を故郷の友人や家族に「日本って麺とご飯一緒に食べるんだよー」「えー信じらんなーい」「でもけっこー美味しーよ」「えーマジでえ〜?」、みたいなやり取りをしているかもしれないのだ。そう思うと気が楽になったが、炭水化物多めという事実は食べる前からわたしの腹部に重くのしかかってくるようだった。





それは以外と遅く出てきた。5分以上はかかっていただろう。中国出身らしき女性店員が厨房の奥でご飯をよそい始めたかと思えば、シェフの前の鍋からジュワッという音とともに蒸気が吹き上がった。炒めた具にスープを回しがけにしたのだろうか。何にしても食欲をそそるサービスである。最近のチェーン店もあなどれないものだ。嗅覚、聴覚、視覚から食欲を刺激されて俄然食欲をそそられつつあったわたしだが、ひょっとすると後から入って来たミュージシャン風の若者が注文したものであり、自分が食べるわけではない可能性もあった。しかしここまでくるともはやどうでもよくなってきた。というより、何が出てきても美味しく食べられる気になっていた。それは何よりも箸のせいだった。

目の前の横に長い木箱の、引き出しの中に納められた有象無象の箸の群れ。それは何と、黒いプラスチックで出来ていたのである。ああ、わたしがこれをどれほど望んでいたか! 新たな割り箸をひとつ割るたびに、手つかずの森の中に踏み入って木の枝を折り取ったような罪悪感に捕らわれがちなわたしにとって、しかもmy箸を持っておらず他に選択肢のない今日のような状況では、もはや僥倖としか言えまい。ふと見るとメニューの片隅に「当店のおはしは環境に配慮して(中略)毎回洗ったあとにアルコール消毒しています」と書いてある。そのプラスチックの箸のうち二本をを手に取り、ああ、こいつら毎日アルコールに浸かって頑張っているんだな、と思うと心が躍る。それは昔とある港町で、見知らぬわたしに「おはようございます」と言ってくれた小さな男の子から得た感動に似たものがあった。静かで素朴な、主張せぬ善意 ー 惜しくもこの箸のそれはあの少年のくれた感動にくらべると、それぞれの物理的サイズ(少年140センチに対し箸20センチくらい)と同じくらい差があったのだが。それはそうと、アルコールに毎日浸かってその日の汚れを落とす箸は偉いものだと思ってしまったが、それはその中に、仕事の疲れをアルコールを飲んでやわらげる労働者との共通点が見え隠れしたからではないだろうか。疲れて飲まずにはいられない労働者、つまりそれは赤の他人ではなくこの自分自身・・・そんな考えは、小高いカウンターの上に無言で置かれたご飯の茶碗の存在によって吹き飛ばされた。いよいよ始まるのだ。次いでラーメンが現れた。さあ始めよう。いただきます、とは声に出して宣言しないまでも、感謝と期待を込めてこの食事を始めよう。




900円という値段に対し、夜道を歩くわたしは自らの満足度を90%と推定していた。そしてこの90%とは、10%足りないわけではない。むしろ、胃の余裕のある部分にデザートとコーヒーを送り込むべき猶予なのだ。ふと費やした時間が気になって腕時計を見た。入店から25分ほど経っていた。店を出て以来2、3分ほど歩いているから実際には22分程度店内にいたわけだ。ラーメンライス一食の時間としては、早すぎず遅すぎず、上出来ではあるまいか。そう思うと同時に、戦慄が走り抜けた。自分は今、腕時計を使って時間を確かめたのだ。

平日は、仕事で一日中キーボードを叩いているわたしの左手に、その仕事を妨げはしても決して助けにならない腕時計が巻かれることは全くない。時間を知りたいときは、目玉をほんの数ミリ動かせばパソコンのモニターの右隅に表示された時刻を見る事ができるし、デスクにいない時は携帯電話を見る事にしているから、平日はそもそも腕時計は家から持ち出さない。それが、今日は携帯電話のバッテリーが死につつあったのでラーメンを食べる間だけということで充電器を接続して家に置いてきたのだ。携帯電話ではなく、腕時計を持っている事実。キーボードも叩かなければ、仕事の電話が職場から転送されてきても出なくて良い状態。携帯電話にわずらわされず、かなり選んで買ったのちベルトや電池を替えて長年使っているお気に入りのスウォッチを心置きなく見にまとい、かつそれで時間をチェックできるという喜びが、まるでポケットに入れっぱなしにして忘れられていたがある日ひょんなことから発見された1000円札がもたらす喜びのように、唐突に全身を駆け巡った。

しかしわたしの脳天を貫くかのような戦慄はその喜びによるものだけではない。わたしは同時に、とても皮肉なことに気付いてしまったのだ。本来、どこでも誰とでも連絡を取れ、自由を象徴するかのような携帯電話がわたしにとっては仕事の象徴であり、また、持ち主を時間に縛り付けるかのような腕時計というアイテムが、わたしにとっては自由な時間をリプレゼンティングしているという恐るべき事実。一瞬自分自身の心の中を絶望の風が吹き抜けたような気がしたが、ふと気付くと、先ほどまでと同じく満腹でかつ心地よい夜風にあたっている自分がいた。ラーメンが美味かった。たったそれだけのシンプルな事実が、わたしをどこから出てきたのかもわからぬような愚かしいネガティヴな妄想から救ってくれたのだった。そしてわたしは食後の運動を兼ねて、目ぼしいコーヒーを求め、夜の街を歩き続けることにしたのだった。



エピローグ

なんだかんだ言ったがキーボード叩き続けて金曜の夜が終わってしまった。そして散歩で時間を食ってしまったのでGFと話せなかった。反省はしているが後悔はしていない。



今回の元ネタ↓


中二階

中二階

  • 作者: ニコルソン ベイカー
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 1994/05
  • メディア: 単行本



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サザエさんの名前の起源 私説と異説 [読書]

この前池袋の新文芸坐で『赤西蠣太』をやっていた。

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(1936年日活、画像は日本映画辞典ドットコムより)

「赤西蠣太」(あかにしかきた)は志賀直哉の
小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)
という短編集に収録されている小説のひとつで、侍や隠密が出てくる時代ものだが、派手な格闘シーンなどはなくどちらかというとのんびり、ほのぼのした楽しい作品である。

筆者は見に行きたかったのだが結局見逃してしまった。その時は別にいいか、と思ったが今となると、登場人物の名前が明らかになるたびにどよめく場内の様子を想像して、やっぱり見に行けば良かったと思うのである。それほどこの話の登場人物の名前は異様なのだ。

まず蠣太(かきた)である。何とも妙な、かつ牡蠣・・・いや書きにくい名前を付けたものだ。スティーヴン・キングが自伝的作品
小説作法
の中で、「『1408号室』のホテル支配人の名前は当初もっと長かったが、自分がいずれ朗読する時に面倒くさいので短い名前に変えた」という話をしているが、志賀直哉は「蠣太」を何度も書く事を厭わなかったようである。きっと達筆でもあったのだろう。

まあそれはそうと登場人物である。侍だが決して美男ではない、いやむしろ醜男といわれる蠣太と対比する美男子の親友の名は銀鮫鱒次郎(ぎんざめ・ますじろう)。蠣太の贔屓にしている按摩師は按甲(あんこう)。極めつけがヒロインである。その若く美しい腰元の名は、なんと小江(さざえ)。

筆者はこれを初めて読んだ時に、『サザエさん』の登場人物の名前がすべて海のものになったのはこの作品からの影響だろうと思った。また、きっと平均的な日本人なら『赤西蠣太』を読めば同じ意見に至るだろうとも思った。だからこそ映画館で他の観客の反応を見たかったのだ(映画自体は二の次だったわけだが)。

ところが昨日たまたまとある本を読んでいると、こんな事が書かれているではないか。

「初期のサザエさん漫画の名品に『楽屋訪問』がある。(中略)問題はこの女形の、えびえもんという芸名である。明らかに海老蔵と歌右衛門の合成ですが、(中略)昭和二十年代から三十年代にかけて、海老蔵はすごい人気でした。そこから推定して、長谷川町子は海老蔵のひいきだったのではないかと考えられる。
 そして・・・・・・ここから大変なことになるのですが、もともとそのエビにあやかってサザエ、マスオ、ワカメなどという海づくしの命名が作中人物に対しておこなわれたのではないか。
 わたしはこの推理、かなりいいセン行ってるような気がしますね。命名のヒントなど案外こんなものなのではないか。」
軽いつづら (新潮文庫)
(丸谷才一、1993)

否、と筆者は言いたい。

まさかエビ一匹・・・もとい海老蔵ひとりの名前から磯野家及び友人知己の名前が海のものづくしになるとは思えない。鱒次郎と小江がマスオとサザエになったのはあまりにも明白ではないだろうか。しかし確証はない。こうなったら長谷川町子美術館に行きたい気さえ起こってくる。

情報をお持ちの方は、ぜひご一報ください。
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