SSブログ

もしもあの時 [入院・弁形成手術]

170211_0023~01.jpg

僧帽弁閉鎖不全症の手術から、明日で2ヶ月になります。
経過は順調で、毎日仕事に行って家に帰って夫婦二人で「ぐでたま」と「ふちネコ」を組み合わせて遊んだり、週末は夫婦二人でリハビリのため歩きに行ったりできます。今日も13kmくらい歩きました。

それにしても、もしもあの時、手術がうまくいかなかったら。
今、ここでこうしている自分はいません。
体はもちろん、こうやって考えることも、記憶を振り返ることもありません。
そもそも、記憶も、いわゆる自我というやつも、全て無くなってしまっているはずなのです。
あの時、それがわかりました。
赤い服を着たオペ室ナースさんが、明らかに私の注意をそらすために手術とは全く関係の無い質問をし始めて少し経つと、麻酔が腕から入り、意識が消えました。
次の瞬間には集中治療室にいましたが、手術中に死んだら、あれで終わりだったのです。

痛みも苦しみも無く、眠って、意識が消えて、ずっとそのままになることが、死ぬということだとわかりました。
集中治療室を経て病室に戻り、その時の事を思い返すと、父が昔言っていた事の意味がやっとわかりました。

「死んだら天国も地獄も無い。死んだら何も無くなる」

父は中学生くらいの時、自転車に乗っていてタクシーに接触し、気絶した事があると聞いています。
きっとその時、私と同じ事を思ったのでしょう。
死ぬというのは意識が無くなったままになる事だ、と。
それで、きっと哲学を勉強し始めたのだと思います。

私はというと、父とは違って、天国や地獄はある、と考えるようになりました。
天国も地獄も死後の世界には無い。この世にある。
良い心がけを持って良い行いをするよう心がけていると、幸せな日々を過ごすことができる。これが天国。そして、その逆が地獄なのだと。

そのあたり、できるだけ大勢の人に教えて廻りたいのですが、手術がきっかけで何か変な宗教に入ったとか思われたら嫌なので、やってません。やっぱり悔いのない日々を送るって難しいですね。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。