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本屋のおっちゃんと『小津安二郎 人と仕事』(蛮友社) [読書]

昨日、昔なじみの書店のおっちゃんを訪ねた時、わざわざ奥から持ってきて見せてくれた本があった。

「蛮友社」という聞き慣れない出版社の『小津安二郎 人と仕事』という豪華本。昭和47年(1972年)発行。定価は6000円となっている。おっちゃんによると大変希少な本で、おそらく1000部、よくて2000部しか刷られていないのだという。こんな話を聞いた。

小津安二郎の死後、元スタッフや関係者が集まり、長い年月をかけてこの追悼本を作り上げた。

しかし、どの出版社に持ち込んでも出版を引き受けてくれる会社は無かった。小津監督がこの世を去ってはや数年、今更そんな本を販売しても誰も買わないだろうという判断である。

そこで有志は、出版社を立ち上げてしまった。その名も「蛮友社」(ばんゆうしゃ)。そもそもこの本を出すためだけの会社だったためだろう、その後、この会社からの出版物は他に見た事がなく、本が手に入ってから奥付けにある住所に手紙を書いてみたが、反応はなかった。

それはさておき、昭和47年にこの本が出版された時、おっちゃんは馴染みの書店で中を見せてもらい、喉から手が出るほど欲しくなった。しかし、定価の6000円という金額は捻出できなかった。当時の6000円は大変なお金だったのだ。(そして、それは確かおっちゃんが会社勤めをしながら書店オープンの計画を温めていた時期だ)

月日は流れ、おっちゃんは地元の駅前に念願の書店をオープンした。幸い景気は良く、お店は調子が良かった。元号は平成に変わったが、書店は特に何も変わらず営業していた。そしておっちゃんはある時、東京に足を伸ばした。もちろん行き先は神田神保町、古書店が軒を連ねる、おっちゃんにとっては幸せの鉱脈だ。岩波ホールのすぐ近くに、映画関連の書籍を専門に扱う古書店があることも調べていた。そして、見つけた―『小津安二郎 人と仕事』の古本である。

再び、喉から手が出そうになった。古書店の店主はそれが希少本と知っていた。前にも一度だけ入荷したことがあるが、すぐ売れたのだという。提示された値段はなんと、六万円。定価の6000円にゼロが一つ増えていた。

「六万円、ですか。いや…今ね、ぼく、持ち合わせがないんですわ」
「そうですか、大丈夫ですよ。お取り置きしておきますので」

ゼロが一個多くても構わない。本当に欲しい。今これを逃したらもう手に入らない。そうおっちゃんは思った。しかし、不思議なことが起こった。得体の知れない何かがおっちゃんの中でうごめいて、口からこんなふうに出てきた。

「いや、ぼく、大阪から来てるんで、そうそう来れないんです。結構です。ありがとうございました」

それは本当に、おっちゃん自身にもわからない出来事だったという。ただ、古書店の店主が「お取り置き」と言った時に、「虫の知らせのようなもの」があったらしい。とにかくおっちゃんは長年探し求めていた本に背を向け、大阪に帰って来た。そしてその晩は一睡もできなかった。

そしてまた年月が経ったある日、おっちゃんは仕事で梅田の取次店に向かった。そして、いつもの通り、出物はないかと、古本屋が軒を連ねる第三ビルの地下に足を運んだ。そして、それは再び唐突にそこにあったのだ。蛮友社『小津安次郎 人と仕事』。値段は4万5千円。しかし手持ちのお金では足りず、今度は「お取り置き」もできない。おっちゃんは「今この瞬間にも誰かに買われてしまうのでは」と戦々恐々としながら現金を引き出しに走った。そして、4万5千円を手にして戻ってきたとき、本はまだそこでおっちゃんを待っていて、おっちゃんと一緒に家に帰る事になったのだ。

その後、一年間にわたって、おっちゃんはその本を愛で続けたのだという。本当に、毎日、開いてページを繰って、何度も何度も読み返した。その時の4万5千円の領収書は、記念として本の最後のページにはさまれていた。日付は平成9年、最初の出会いから、25年が経っていた。

仲の良い友達に、「4万5千円も出して、何冊セットかと思ったら1冊か」とあきれられたというのも、おっちゃんの自慢のひとつである。
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コメント 2

横川

「小津安二郎 人と仕事」を私も持ってます。出版時に勤め先に出入りしていた書店に注文したら、店の主人から電話があり「6000円と高価な本だが注文に間違いないか?」と確認の電話があった。以後、小津関連の本を買い集めている。今年7月に出版された本を先日新聞で知り住まい近くの書店に取り寄せを頼んだら「直接出版元へ頼むように」との話。電話したら新聞を見た人からの注文が多いようで「2500部の印刷したが今日にはなくなる」と危ない処だった。昨日、東京・京橋のフイルムセンターの展示を見て家に帰ってきたら「蓼科日記抄」が届いていた。これから暫らく楽しい時が過ごせる。」
by 横川 (2013-12-14 22:32) 

管理人K(3X歳)

>>横川さん
コメントありがとうございます。
元・書店のおっちゃんと同じ時代を生きてきた方なんでしょうね。今読み返していてやっと気づいたのですが、「人と仕事」が出版された時には私はこの世に存在していませんでした。
「蓼科日記抄」という本が今年出たのですね。知りませんでした。おっちゃんにも聞いてみますね。
by 管理人K(3X歳) (2013-12-15 21:46) 

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